2020夏ハロコンを鑑賞して思ったこと。
みんな、めちゃくちゃ感情込めて歌う。
それはそれはものすごい気迫で。
今回のセットリストはハロプロ以外のJバラード。
中でも恋人を失った曲や、もう会えない別れた人への思いを綴る、いわゆる「切ない系」の楽曲が多く選ばれていた。
そして、みんな本当に大切な人を失ったかのように、苦しそうに歌っていたのだ。
今にも泣きそうな表情。
歌詞の意味とリンクした繊細な歌声。
大サビで爆発する声量。
会場に響きわたる裏声とビブラート。
アイドルというよりもはやアーティストのライブに近かった。
結果、びっくりするくらいの胃もたれと違和感しか残らなかった。
あまりにも自己陶酔しきったメンバーと、ペンライトを振る客席に隔たりがあるように感じたというか。
終盤には何だかぐったりしてしまった。
パフォーマンスに定評のあるハロプロ。
真面目で努力家というイメージがある。
歌詞の意味や曲の背景。きっと、入念なイメトレをしてきたに違いない。
(というかそういうふうに指導されてきた面がある)
中には「歌の世界観を出すために、その曲が主題歌になった映画を見て挑んだ」というメンバーもいた。
確かに歌の世界観はばっちり出ていたが、カラオケとしては100点でも、歌としてはどうなんだろうか。
というかそもそも歌って誰のためにあるんだったっけ。
一方で、スッと心に入ってくるような歌い方をする子も何人かいた。
難しいことは考えず、ただ淡々とマイクに向かっている子。
橋迫鈴の「セーラー服と機関銃」なんかがそうだ。
表情を変えることなく飄々と歌うさまに、もはやロックさえ感じた。
もちろんそういう子たちに比べれば、歌唱力はベテランメンバーが凌駕している。
ただ、余計な情念がなく、はるかに聴き心地が良かったのだ。
とはいえ、こんな状況下で一生懸命準備してくれたメンバーたちにこんな気持ちでいるのは申し訳ない。
モヤモヤしながら調べてみると、どうやらこの違和感は一理あるみたいだ。
それは「歌に感情は込めてはいけない」論、というものである。
歌に感情を込めてはいけない
「千の風になって」でお馴染みのテノール歌手・秋川雅史は、ある取材でこう話す。
「詩に感情を込めて歌うのではなく、ひとつひとつの言葉を丁寧にメロディに当てはめることだけを考える」と強調する。感動を誘う歌唱からすれば逆説的にも聞こえるが、「そうすることで詩の持つ力を一層引き出すことができる。音楽の詩は聴く人が解釈するもの。歌い手がどう感じるかじゃなくて、聴く人がどう感じるかが大切だと思っています」
「千の風になって」で話題のテノール歌手、秋川雅史インタビュー - CDJournal CDJ PUSH
また、アイドルに精通する吉田豪らも、ラジオにおいて「歌に感情を込めてはいけない」と語っている。
(吉田豪)そうなんですよ。だからアイドルがつまらなくなるのってそれなんですよ。結局、歌唱力がよくなろうとするのはまだいいんですけど、ちょっと方向を間違えることが多くて。歌に感情を込める路線に行く人がすごく多いんですよ。
(加藤響子)えっ、だって感情を込めたくなりますよ。
(吉田豪)込めちゃいけないんですよ。
(加藤響子)ダメなんですか?
(吉田豪)込めれば込めるほど、感動できなくなるんですよ。これは八代亜紀さんも言っています。八代亜紀さんが歌にだんだん感情を入れていった時、全然人が泣かなくなった。で、ある日、全然感情を入れずに歌ったら、刑務所の慰問とかでみんなボロ泣きして。だから人が感情を乗せられる隙間を作らなくちゃいけないっていう。
(加藤響子)はー!
(吉田豪)「ほら、聞いて! 泣けるでしょう!」って押し付けちゃいけないんですよ。
(絵恋ちゃん)押し付けがましいと冷めちゃう。
吉田豪と絵恋ちゃん アイドルが歌に感情を込めるべきでない理由を語る
(西寺郷太)〈略〉単にフェイクが効かせられるとかメロディーがいいとか歌が上手いとかって実は僕もあんまり好きじゃないんですけども。たぶん一緒だと思うんですけども。いっつも「感情をなくして歌え」っていう風によく言うので。
(吉田豪)重要ですね!
(西寺郷太)「普通にやれ」って。
(吉田豪)ああ、僕がよく言うやつだ。「感情を入れすぎるな」っていう(笑)。
〈中略〉
(西寺郷太)人はいちばん悲しい時に「ウワーッ!」とかってやらないから。もっと、本当に大事な人が死んだら、「あ……はい、そうですか……」ってなるって俺は思ってそう信じているので。やっぱり歌って聞く人のものだし。そこに勝手に……たとえば洋服を選びに行ったらめっちゃついてくる店員みたいなのは嫌なんですよ。
(吉田豪)「泣けるでしょ? 泣けるでしょ?」みたいな(笑)。
〈中略〉
(西寺郷太)やっぱりそれぐらい……まあ、そこまではちょっと極端ですけども。でも、歌詞とか曲って少なくとも作った時点である程度の念があるはずなんで。だから歌の段階で変に味付けはしなくてもいいかな?っていう。
吉田豪があげていたように、この「歌に感情を込めてはいけない」論を提唱するひとりに演歌歌手の八代亜紀がいる。
大東「(JUJUさん)歌詞が、感情として経験したことが無い内容だったら絶対に歌わない」
八代「へぇ~。私、歌の中に自分の経験どれもないもん」
加藤「え?でもね、八代さん、『舟唄』で、『お酒はぬるめの燗がいい~』ってあるじゃないですか?」
八代「最高じゃないですか!」
加藤「入ってるでしょ?気持ち?」
八代「それ感情じゃない、八代の声なの」
加藤「声?」
八代「感情出てるように見えちゃうんでしょうね」
加藤「見えるだけ?八代さんの場合は?」
八代「そうです。感情入れると、自分の心も出ちゃうわけですよ。その歌手の人の人生観とか出ちゃうわけですよ」
加藤「それいいんじゃないですか?」
八代「ダメなの、それ」
加藤「え~!」
八代「歌は代弁しなきゃいけないと、私は思うのね。聴く方の代弁者。自分の事をこの声が歌ってくれてありがとうと思われなきゃいけない」
木南「自分の世界に置き換えられるように?」
八代「そう、聞く人の事なの」
加藤「木南にしても僕にしても大東にしても、歩んできた人生が違うから…」
八代「違うでしょ?」
加藤「だから『舟唄』聴いた時に、自分の『舟唄』にしてほしい?」
八代「そういう事。そうでないといけないと私は思ってるのね」
「歌手は聴く方の代弁者 感情を込めて歌ってはダメ」 - ネコの尻尾を追いかけて
ああ、やっぱりそうなのかと腑に落ちた。
歌の主人公は、聴き手である。
歌への感情は聴き手が持つもので、歌い手はその代弁者にすぎない。
聴き手自身の背景をもとに、自由に解釈できるような隙がないといけない。
だから、悲しい歌は悲しく歌ってはいけない。
あくまでも一説のうちのひとつではあるが、私がハロコンで感じた違和感はここにあった。
そもそも、ハロプロ自体が「歌詞の意味を考えろ」「主人公になりきれ」「抑揚をつけろ」というようなことを指導し、受け継がれてきた感は否めない。
もちろん、それ自体が間違っているかと言えば、まったくそうではない。
ただ、歌に対する度を越した解釈や表現は、ときに受け手側の感情処理の邪魔をすることは確かだ。
歌は、歌い手のことではなく、"聴き手のこと"だから。
あのとき橋迫の歌がまっすぐに伝わってきたのは、客席に感情の判断を委ねていたからだといえよう。
どんな歌唱力のあるメンバーよりも、まだ決して実力十分とはいえない彼女のほうが歌への理解があるのだとしたら、皮肉である。
(無論本人が理解しているのかどうかは不明だが)
ハロプロは自他共に認める音楽を軸とするパフォーマンスグループだ。
歌が大好きな彼女たちだからこそ、本当の意味での歌唱力として、これからはもっともっと聴き手の代弁者になっていってほしい。
ファンひとりひとりの人生を歌えるようなアイドルは、絶対に最強なはずだ。